益田の岩船は奈良県橿原市の貝吹山の東峰にある巨大石造物です。この山道はハイキングコースで沢山の古墳群を見物しながら飛鳥駅まで到達できます。 竹林越しに見えてきたのが岩船です。 貝吹山の山頂付近にある謎の古代遺跡です。 松本清張は”ペルセポリスから飛鳥へ”という著書の中で岩船は拝火教(ゾロアスター教)の祭壇でこの山はバビロニア(古代のイラク)のジグラッドを模したものではないかというユニークな仮説を提示しています。他にも古代の天文台とか完成前に放棄された古墳の石室、空海による治水の記念碑などの説があります。飛鳥には水に関わると考えられる石造モニュメント、例えば須弥山石は噴水、亀形石造物は水盆、酒船石は液体を流した何か?等が非常に多いです。この岩船も水に関わる祭祀に関係しているのでしょうか。
岩船はかなりの大きさです(推定160t以上らしい?)。人力と牛馬などしかない時代にどうやって山頂まで運び上げたのでしょうか?元々あったものをその場で加工したという説もあります(根拠は摩擦係数から計算したら、1万人規模の動力がいるからだそうです)。しかし、産業革命など動力が発明される以前でも、大阪城の大手前門の巨石のように100tクラスのものが瀬戸内海を海上輸送までして運搬されていることから、当時の技術でも十分運搬可能ではないかと思います。橿原考古学研究所の付属博物館の庭には運搬に利用されたと推定される修羅という木製の舟のような車輪すらない台座が展示されています。そのまま引くのではなく、おそらく下にコロくらいはひいたのではないでしょうか。紀元前の中国の始皇帝陵でさえ車輪付きの戦車が出ているのでそれくらいの工夫はするでしょう。
少し高いところから見下ろしたところです。2つの正方形の穴が特徴的です。 見ようによってはロボットの顔にも見えます。
この穴には常に雨水が溜まっています。水鏡に木々や雲が写っています。この上からは大和三山(畝傍山、香具山、耳成山)や三輪山 (夏至の日の出ラインにのっているそうです)が見渡せます。神島から仁徳、箸塚と続く太陽の道と呼ばれる日本版のレイラインとも関係しているのでしょうか? 集約すれば以下の3つの謎に行きつくでしょう。
運搬法の謎(輸送機具と動力、単なる人海戦術?)
誰がいつ造らせたのか(古墳時代の大和地方の最高権力者?)
使用目的(何かの祭祀?)
ただこの近くには2つの玄室をもつ牽牛子塚古墳があります。六甲山の石の宝殿との関わりもよく言及されますが推論の域は出ないでしょう。江戸時代の観光ガイドブックには当時のスケッチを含めた著述がありますが、本当の古文献上には記録がないので何らかの木簡等が出土しない限りこれらの実証は不可能でしょう。
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