中世末期から戦国時代の堺は南蛮貿易の拠点でもあり、鉄砲鍛冶も発達しました。それまでの茶の湯をわび茶として大成させた千利休の地元でもあり、堺市内には茶道に関わる史跡も点在しています((o('∇'*)o
千利休屋敷跡は路面電車の阪堺線沿いの宿院駅の裏手にあります!ここには椿の井戸という屋根つきの井戸が残されています。この井戸には椿の炭が底に沈めていたそうなので活性炭効果で水を浄化して使用していたのかもしれませんね
千利休屋敷跡の近くにある南宋寺は、茶人・武野紹鴎や千利休が修行したと伝えられている茶道とゆかりの臨済宗大徳寺派のお寺です。境内には国の名勝指定の枯山水庭園や、利休ゆかりの茶室 実相庵や徳川家康の墓がありますヾ(=^▽^=)ノ
仁徳天皇陵に隣接した大仙公園内には日本庭園のほか、数奇屋普請の名匠と謳われた仰木魯堂による茶室を東京から移築した伸庵や、古い町並みが残る奈良県の橿原市今井町の豊田家にあった江戸中期の茶室を移築した黄梅庵があります!
これらは国の登録有形文化財だそうです。伸庵のなかでは干菓子付きの抹茶(300円)を頂くこともできます!
伸庵は東京芝公園から移築された10室の和室と大きな建物です!
2 件のコメント:
“天地人”で、数週間前に千利休の最期を見ました。堺で生まれたのですか??関西人だということは知っていたんですがそれは知らなかった。潔い最期でしたね。
茶の湯って奥が深いですね。お茶だけじゃないし・・・少しでも勉強したいなぁと思いますが、なかなか(苦笑)
「黄金の日々」という本を読むと堺は織田信長が接近してくるまでは堀で囲まれた自治都市だったようです。秀吉は千利休を通して成功している経済都市の行政ノウハウを取り込んでいったという側面もあったのかもしれませんね
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